"コトに向かう"の功罪

物申し系ブロガーのyumです。
みなさんは「ことに向かう」という話を知っていますか?
時々「ことに向かう」ということを「物事に向きあう」くらいで認知されていることもあります。しかし、文脈を読み解くとまた違ったものに見えてきます。
「ことに向かう」に関しては、こちらの記事を詳しかったため引用します。

コトに向かうの功
まず、「コトに向かう」の一言の前に「人や自分に向かわずに」という文言があります。これは後述の引用でもわかる通り、「自分本位で考える」点や「地位とか誰の功績か」などといった点にこだわりすぎないで、"コト"に向かうと良いよ、というメッセージに感じます。
やっぱり「人や自分に向かわずに、コトに向かう」。それが今日の1つのメッセージなんです。
そうですね、ちょっと抽象的な言い方だったかもしれないですが、誰についていくとか、誰に評価されるとか、あるいは自分ができる、できない、もう少し成長していかないといけないのではないか。そういうことに意識を向けるんではなくて、純粋なチームの目標や自分の目標に向かって、それに本当に集中してみると、すごく充実した人生が送れるんじゃないかと思います
私はその時から、あまり自分に意識がいかない方がいいなと思いました。それと同時に、あまり誰についていくとか、アイデアの帰属とか、あるいは評価だとか、ポジションとか、マネージメントとか。そういったことをすっかり忘れて仕事に打ち込むと、本当に良い結果がついてくるなと感じました。今日は女性の方も多いと思います。
このメッセージから考えさせられることも多く、常に自分が地位だとか評価だとか、自分ができないとか、そういった殻にこもってしまっていないかどうかの検査を促してくれます。
コトに向かうの罪
世に広がっていくにつれて、この「コトに向かう」という言葉がある免罪符のように使われるケースを目にするようになりました。
それは、「コトに向かう」と言って、ヒト志向の課題に向き合わない言い訳にしているケースです。
チームの関係性やチームプロセス、チームメンバーの価値観からくる擦れ違いを「コトではない」と判断して向き合わないケース(もしくは別のコト志向の課題に目を向けすぎるケース)です。

"ヒト"志向の課題を解決しないと"コト"志向の課題に向かっていても望む結果は得られにくく、結果的に悪い方向に向かってしまうケースがあります。
その時に「"ヒト"志向の課題に向きあえてなかったな」と内省し、「"コト"志向だけの課題だけではなく、"ヒト"志向の課題にも向き合おう」と考えられれば良いのですが、ここで「しょうもないことで悩んでないで、もっとコトに向かわなくちゃ」となると硬直化してしまうのです。
これが「コトに向かう」の罪だと思っています。かなしきかな...。
要はバランス、中庸の考え方で何事も捉えられるようになりたいですね。
さいごに
一見どう見えようとも、それはつねに人の問題である ——ワインバーグ著コンサルタントの秘密より
ヒトが介在している限り、つねに人の問題です。常に問題の裏にはヒトが絡んでいて、ヒトとの関係性やヒトとの対話が問題を解消する第一歩になる場合があります。
戦略にならずに、まずは対話をすることを忘れないようにしていきたいです。