思い込みという鎧を脱ぐ
思い込みという鎧は、その人を動きにくくし、防御姿勢にさせ、どんどん殻に篭りやすくさせる。気づかないうちに。

思い込み、してませんか。
無意識下の思い込み、していませんか。
今あなたはニュートラルな状態ですか。
「技術力」という鎧
自分は新卒の時に強い思い込みを持っていました。
ソフトウェアエンジニアリング領域での「技術力がある」という思い込みを持っていました。むしろ持つことによって自己暗示的に学習を進めていたかのようにも思います。
その時は「技術力」に対してある程度自信を持っていました。(ペーペーですが)
その代わりにソフトスキルに対しての自信はなく、「自分は技術力を失ったら生きていけない」と考え、少し攻撃的な部分があったり、完璧主義な部分もあったりして、メンタル面においても不安定でした。
そこから一度転職をすることによって「技術力」という鎧を脱ぎます。
「アジャイル」という軽装
転職をしてから、開発者をしつつスクラムマスターの役割を担っていました。その時のインプットにより、「技術力」という鎧を脱ぐことができました。(当時強いエンジニアの方もいたので)
「アジャイル」という今まで苦手(できないと考えていた)部分のファシリテーションスキルや要求をまとめるスキル、プロセス改善などソフトな部分がかなり鍛えられ、むしろ「得意」と感じれるまで成長することができました。
しかし、逆に「技術力」からは遠のくことになり、「技術力」の面での自己有用感は皆無の状態へと近づいていました。いつしか鎧だったものは、自分の弱点であるように認識し始めました。
「アジャイルである」という鎧
「アジャイルである」「良きスクラムマスターである」ことを強みとして考えるうちに、どんどん固執していきました。そして、それはまた「鎧」へと変貌しました。
「それはアジャイルではないのでは?」と言われてしまえば、本当にその通りですが自分でも認知できない強いこだわりを持ち、自由度がかなり減ってしまっていたのです。
そして「技術力」への苦手意識がより「アジャイルである」という鎧を脱ぎにくくし、より固執してしまうようになりました。
「自分にはそれしかない」と。
「アジャイルである」鎧を抜ぐ
ふとした時に、「あれ、自分ってスクラム(マスターやアジャイル)に固執しすぎじゃないか?」と考える時がありました。
自分が最終的に何がしたいのか、自分がスクラムやアジャイルに惹かれたのはどうしてだったのか。
その根源的な欲求である「使う人に最高の価値を感じてもらいたい」ことだったり「最高のチームで最高のものを届けたい」ことだと言うことを忘れてしまっていました。
この芯を失った状態での行動は表面的で、どこか不安気で、どこかゆっくりで、自分を守るために動いてしまう、まさに「鎧を纏った」状態でした。
その状態に気づき、自分はあることに気付きました。
「あれ、自分って何も生みだせなくないか?」
この事実に気付き、ある決断をしました。
「よし、技術力も磨こう」
自立とは「依存先を増やすこと」

熊谷 晋一郎先生の言葉で"自立とは「依存先を増やすこと」"というものがあります。
この考えと同様に、「技術力」に対しても依存するし「アジャイル」に対しても依存する、そして「組織開発」にも依存する。
こうやって様々な領域に対しての強み(依存先)を持ち、どこか欠けても生きていける状態になることが、より自立に繋がり、精神の安定性を高め、ネガティブケイパビリティを強くするのだと思います。
さいごに
得意分野を持つことは素晴らしいことで、その得意分野で一生食っていける可能性は大いにあります。しかし、それが「思い込み」に変わった時に固執するようになってしまいます。
しかし、その専門性の鎧を脱ぎ捨てて"初めて"対話可能な状態になります。対話が不可能な状態になった時、私達は"戦略"を用いて人をコントロールしようとします。
いつまでも、鎧の存在に気づいて、すぐに脱げるようになっていたいですね。
対話の本
家庭療法のオープンダイアローグについての書籍です。
