"チーム責"という考え方

チーム責で考えることで、他責や自責の二元論を越える

"チーム責"という考え方

みなさんは"チーム責"という言葉を聞いたことはありますか?

では、"自責"や"他責"という言葉は聞いたことはありますか?こちらは聞いたことがある人も多くいるはずです。なんなら毎日聞いている方も...。

「他責思考で良くない」

こういった言葉を聞くことがあります。ちなみに、この言葉は自己矛盾性を持つので言う側の権力が強い時しか機能しません。(他責思考で良くないという発言自体が他責思考になっている、というアレです。)

そんな最中、"自責思考"を求められることも多々あります。「自責思考は美しい」という価値観を持つ組織もあります。

では本当に"他責思考"は良くなく、"自責思考"は良いのでしょうか?

自責思考と他責思考

自責思考は選別する

強い自責思考は"病み"ます。それも当然、自分自身を常に否定するわけですから、自己肯定感は勿論、自己有用感も自己効力感も無くなっていきます。

その結果、自分は必要のない存在であったり、自分は迷惑をかける存在だと認知が歪むことでメンタルはやられていきます。

逆に、その環境下で生きのびている"少し他責思考を持つ人"だったり、過度に考えすぎない"強靭なメンタルの人"が生存者として残っていきます。

その結果"自責思考は素晴らしい"という価値観が共有されその価値観に適応できない弱者は淘汰されていきます。

つまり、"行きすぎた自責思考"は良くないのです。

また、自責思考が強すぎるがあまり「自分に問題がある」と考えるばかり自分への最適化だけを行ない、組織として機能しなくなるケースもあります。

他責思考は自己成長の機会を減らす

他責思考は当然の通り、自己成長の機会を減らします。自分には原因はなく、他のところに原因があると考えるからです。

しかし、完全に悪い方向に行くわけでもなく、プロセスに他責した時はプロセス自体を改善しようという動きに替わるため、根本解決に近づく可能性があります。

よりスコープを狭めると"他の人に他責する思考は自己成長の機会を減らす"ことになります。もちろん、他の人が大きな障壁となるケース(ブリリアントジャークなど)はあります。

まとめると

  • 行きすぎた自責思考→病むのでBAD
  • 自責思考だけで考える→「自責で考えて」という他責思考が発生するのでBAD
  • 人に対する他責思考→自己成長しないのでBAD
  • プロセスに対する他責思考→変えようと自己成長するのでGOOD
  • 病まないための他責思考→生きるために大切なのでGOOD

ただ、他責か自責かで考えていると見えないものもあります。それは「チームとして」という視点です。

チーム責という考え方

こんな言葉は広辞苑に載っていないと思います。造語です。

まず自責についてですが、自責は"I"です。わたしに対してのベクトルが向いています。

つぎに他責ですが、他責は"YOU"です。わたし以外の他者に対してベクトルが向いています。

そしてチーム責ですが、チーム責は"WE"です。わたし達という共同体に対してベクトルが向いています。

この捉え方の違いがどういう効果を生むのか?また、どういう所から来ているのかを考えてみます。

「我思う、ゆえに我あり」

"個人"という言葉が強く意味を持ち始めたのはこの頃からです。

「我思う、ゆえに我あり」という言葉は"自己"という概念を生み出し、「自己ではないもの」は、すなわち「他者である」ということを意味付けました。

"自己"と"他者"が存在する時、まず"自己"は何を気にするでしょうか。それは"他者"が"自己"を傷つけるつもりなのか利益をもたらす存在なのかを判別することです。

つまり、このような個人主義的な考え方、そして個人主義的な考え方が強く反映されている"自責思考"はより"自己"の概念を強め、外界についての関心は「敵かどうか」に繋がっていきます。

そして現代はこの個人主義は強く、根深く、あたりまえのように存在しています。ちょっと前は個人主義が強ければ強いほど"優秀"と評価される時代でした。

他責思考も個人主義の延長

他責思考も実は個人主義の延長にあります。以下のように表現することができます。

  • 個人主義が強く、自分にしかベクトルが向いていない人は"自責思考が強い"
  • 個人主義が強く、他者にしかベクトルが向いていない人は"他責思考が強い"

つまり、どちらも個人主義の範囲の中での話であり責任を「どちらかに置く」ことでしか物事を語れないような仕組みになっているのです。

チーム責(共同体責)という考え方

ここでこの枠組みを越えるための考え方が"チーム責"になります。

"わたし"も"あなた"も1つの"共同体"として捉え、"わたしたち"と責任を全員で持ちます。

この状態にあるとき、共同体の誰かがミスをした場合は"その人のせい"ではなく"わたしたちのシステムに問題がある"と捉えます。

「そもそもミスをするような仕組みになっているのが悪いので改善する」

「ミスをしてしまったのは全員の振る舞いが影響しあって起こったこと」

このような捉え方をします。

そうすることで、直線的認識論(単一の原因だと考えること)へ安易に帰着せずに円環的認識論で物事を捉えることができるようになります。いわゆる、システム思考です。

原因→結果がただ1つだけに結びついていることは、現代では珍しく大抵は複雑に問題同士が絡み合っています。

その絡み合っている問題同士を解決し、より改善していくには円環的認識論が必要不可欠になります。

そして「チーム責」という考え方(思考法)はその第一歩なのです。

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